こんにちは。aileRC代表の藤井翼です。
前回のブログでは、中学1年生の頃、軽い気持ちで長距離に入部し、やがて走ることの楽しさを見つけていった話をしました。
今回はその続き、中学2年生の頃の話を中心に綴っていきます。走ることが楽しいだけじゃない、「苦しさ」や「悔しさ」の中に、自分の本気が芽生えた大切な1年でした。
初めて“補欠”として選ばれた
中学1年の冬。私は、駅伝メンバーの補欠に選ばれました。強い先輩たちの中で自分がメンバーに入れたことが、本当に嬉しかったのを覚えています。
元々、長距離が苦手で、入部当初は下から数えた方が早いくらい遅かった自分がここまで来られた。努力して走り続けてきて良かったと、心から思える瞬間でした。
初めての怪我と、走れない日々
しかしその直後、大きな怪我をしてしまい、約4ヶ月間、走ることができなくなりました。
はじめての故障。心も落ち込んだけれど、そこで辞めようとは思いませんでした。先生に言われた補強や体幹トレーニング、ケアや治療などを、毎日コツコツと続けました。
走れない日々の中で「できることを全力でやる」。その姿勢が、後に自分を大きく変えてくれました。
復帰戦で30秒ベスト更新
怪我が治って、久しぶりに出場したレースで、自己ベストを一気に30秒縮めることができました。
「言われたことを素直に聞き入れ、前向きに考えて取り組むことで、ちゃんと成長できるんだ」
怪我をしても、腐らずにやるべきことをやり続けたからこそ、結果につながった。これは私にとって大きな自信になりました。
夏の大遠征と“覚醒”
その年の夏、全国大会に出場する先輩の応援で、福岡から群馬までの遠征に帯同しました。顧問の先生がマイクロバスを運転し、帰りには京都・立命館宇治高校、長野・佐久長聖高校、兵庫・須磨学園といった強豪校を回りながら、練習をさせてもらいました。
全国で戦う先輩たちと肩を並べて強豪高校の練習をこなすことができ、「自分も全国で通用するかもしれない」と強く思うようになりました。
この夏の遠征で、自分の中の何かが“覚醒”した感覚がありました。
これが私にとっての”きっかけ”が訪れた瞬間だったと思います。
駅伝で区間新記録、そして悔し涙
その後、正式に駅伝メンバーに選ばれ、準エース区間を任されることに。走るたびに記録が伸び、駅伝の市大会では区間新記録を出すこともできました。
しかし、全国大会出場をかけた大事な県大会の駅伝で、自分の区間で大きく離されてしまい、チームは敗戦。先輩たちの最後の大会でもあり、全国大会出場を目指していたチーム目標もそこで途絶えました。
大事な場面で失敗してしまい、悔しさと責任を感じて、人生で初めて走ることで涙を流しました。
しかしこの大きな悔しさが、さらに自分を強くしたと思います。
進路に悩んだ時、頭に浮かんだ“あの高校”
2年の終わり頃、先生に「どこに進学したいんだ?」と聞かれました。
九州内に志望校はあったけれど、公立の進学校だったため学力が足りず現実的ではありませんでした。そんな時、ふと頭に浮かんだのが、夏の遠征で訪れた佐久長聖高校。
名前が珍しく、強豪校だったことも印象に残っていて、母に半分冗談で「佐久長聖行きたいな〜」と話したら、母が先生に相談してくれて…後日、先生に呼ばれました。
「佐久長聖に本当に行きたいのか?本気なら、行かせてあげる」
生徒指導も担当するくらいの厳しい先生にそう言われ、勢いで「はい、行きたいです」と答えていました。
家では家族会議。遠方で費用もかかる進学に不安や迷いもありましたが、両親はこう言ってくれました。
「家のことは気にしなくていい。自分の行きたい学校を選びなさい。その代わり、自分で決めたなら、最後まで諦めず、投げ出さずにやりきること」
この言葉に背中を押され、私は本気で佐久長聖を目指そうと覚悟を決めて決意しました。
(今思えば、ちょっと特殊な進学の決まり方でした。笑)
次回は、中学3年生の話。いよいよ全国大会を目指す1年が始まりますが、そこには予想もしなかった大きな試練が待っていました。
読んでくれて、ありがとうございました!