【第4回】“通用すると思っていた”全国トップレベルの現実と向き合った1年目

こんにちは。aileRC代表の藤井翼です。
前回のブログでは、指導者がいない中で走り続けた中学3年生の経験、都道府県対抗駅伝で一区切りを迎えたことをお話ししました。

今回からは、いよいよ高校生活編に入ります。
舞台は、全国トップクラスの強豪校「佐久長聖高校」。
ここから、私の陸上選手として”本当の勝負”が始まりました。

高校入学。待ち受けていたのは「通用しない現実」

私は、3月末に佐久長聖高校の寮に入寮しました。
当時、佐久長聖高校駅伝部は「携帯電話の所持禁止」「生活管理は分刻み」といった、全国でも指折りの厳しい部の規則を持つ高校でした。

ですが、私は寮生活に対する憧れが強く、なぜか不安はほとんどありませんでした。
これが入り口としてはプラスに働いたと思います。
遠方からの進学ということもあり、入寮も博多駅からひとりで向かいました。

同じ学年には、当時の3000m日本中学記記録を更新した選手や、全国大会の入賞者など、全国トップクラスの実力を持つ選手たちが集まっていました。

「自分は福岡県で2番。3000mのベストは8分51秒。全国大会にも出場できたから、通用するはずだ」
そう思っていた私は、正直どこかで自信がありました。

初日の練習で気づかされた、自分の“過信”

同期は9人。私は持ちタイム的には真ん中よりやや上、4、5番目くらいの位置でした。
入学後の練習。最初は「いける」と思っていたのに、途中から体が動かず、どんどん遅れていく。
一方、全国で結果を出してきた同期たちは、しっかり練習についていっていました。

生活環境の変化、長野の気候にもなかなか慣れず、体調を崩すことも沢山ありました。
夏の合宿を終える頃には、自分よりタイムが遅かったはずの同期たちに次々と追い抜かれていました。

この瞬間、私は痛感しました。
「自分の力はまだ何も通用しない」と。
自信が過信だったことに気付かされた瞬間でした。

自分だけが取り残されていく感覚

「なんで、記録が出ないんだろう」
「わざわざ遠く福岡から来て、何をしてるんだろう」

文句ひとつ言わず送り出してくれた両親や、地元で応援してくれている人たちの顔が浮かび、悔しさと申し訳なさが数えきれないくらい何度も込み上げました。

順調に記録を伸ばす同期はレギュラー争いの厳しい駅伝メンバーにも選ばれ、自分は外からそれを見ているだけ。
正直、羨ましく、そして惨めでした。

毎日が「周りと比べる自分」との戦い。
でも、そんな中で少しずつ変わっていったのは、「自分と向き合うことの大切さ」に気づけたことでした。

周りではなく、自分と向き合うこと

比べるべきは他人ではなく、「昨日の自分」だった。
自分なりの日々の課題を見つけ、自分のペースで乗り越えていく。
地道なことや当たり前のことを継続してコツコツと続ける。
そう意識を変えてから、少しずつ心も前向きになり、やがて、ずっと更新できなかった5000mの自己ベストを1年生の冬についに大幅に更新することができました。


もちろん強い同期に比べたらタイムは及ばなかったですが、自分自身の目標タイムを更新できたことで、大きなキッカケを掴むことができた瞬間でした。

同じ悩みを抱える学生へ伝えたいこと

いま、思うように記録が出ずに悩んでいる学生がいたら、私はこう伝えたいです。
「人と比べすぎないで、自分と向き合うことを大切にしてほしい」と。

もちろん、競い合う気持ちや負けたくない気持ちは成長の大きな原動力になります。
でも、他人の結果と比べすぎて自分を見失ったり否定してしまうのは、本当にもったいない。

焦らず、自分の課題に正直に向き合ってください。
そして自分の信頼する指導者のアドバイスを素直に受け入れて実践してみてください。
そこにこそ、記録を伸ばしたり、強くなるヒントがあると思います。

次回は、佐久長聖高校でのトレーニングや、私が1年生の頃から欠かさず続けていた習慣について詳しく書いていきます。
ここから、インターハイや全国高校駅伝(通称:都大路)への道が本格的に動き始めました。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!